無意味なものにとらわれて人生損するところだった話
花屋で働いている。暑くなるにつれて閑散期に入り、暇になる。
春先から母の日までの圧倒的な忙しさと休みの少なさに体が慣れてきたころなので、閑散期に入っても体力を持て余す感じがある。
副業でもしようか?週1のバイト探す?とも考えてみたけど、もともと私は湿度や暑さが苦手な体質だったことを思い出した。
毎年6月ごろから、湿度計や気温計の数値が高くなるにつれて、じっとりと体がだるくなる。去年だって仕事をするのも何をするのもしんどくてぜえぜえしてしまった。
そうだ、副業なんて始めるべきじゃない。苦手な季節に、そんなにあくせく働かなくてもいいじゃない。暇なのは”体を休める時期”なのだと思うことに決めた。
そんな職場で数日前とても印象的なことがあった。
ぜっさん閑散期中のこの花屋、スタッフ同士の人間関係がなんともさっぱりとしている。陰口を叩くことや面倒な派閥などは無くて
(時たま少しの陰口はあるが私はそういうのが本当に嫌で精神衛生に悪いので加わらない)、
かといって、みんな仕事終わりに飲みに行くほど仲良くもない。お互いが休みの日に何をしているかなど、私的なこともほとんど話さない。
にこにこと働き、仕事が終わればさっと帰っていく。なんとも独特な距離感である。
そんな関係なので、もちろん(?)お互いの年齢すら知らない。
毎日顔を合わせているけれど、年齢を聞かれたこともないし、こちらも誰にも聞かない。新しい職場や初対面の人に出会うと「まずはお互いの年齢を確かめる」ということに慣れていたので、お互いの年齢を知らずにいるのは新鮮で案外心地よい。
年齢を知らないということは「〇歳なのに若々しいな」とか「この人は年下だからため口でいいや」という先入観が一切ない。あるのは相手の働きぶりに対するリスペクトだけである。
それでもスタッフに1人、コミュニケーションが上手すぎるコミュ力おばけの女の子がいて(丸山礼ちゃんに似ているので勝手に心の中で丸山礼ちゃんと呼んでいる。私は丸山礼ちゃんのファンである)
ある日にっこりと「そういえば何歳なんですか?」と唐突に聞かれた。
そこで初めて年齢を確認しあったのだけれど、まあ、なんということでしょう、
21,2歳と思っていた丸山礼ちゃんは29歳だった。学校を出たての甘え上手な女の子だとばかり思っていた。33,4歳かと思っていた落ち着き払った男性スタッフは24歳、
そして私も実年齢より10も違う年齢だと思われていた。
なんともお互い見当違いな想像をしていた。つくづく人の年齢をあてるのは難しいなと思った。
ということは、私たちが呪いのように縛られている「もう〇歳だからこの服は着れない」「〇歳なのにこの趣味はイタいかな」などという考えは、まったく意味がないのではないか??
他人はこちらの年齢なんてわからない。
ならば気にするべきなのは「やりたいか、やりたくないか」「好きか、好きじゃないか」「似合うと思うか、思わないか」等々、自分の主観だけじゃないのかなって。
これまでやりたいことや好きなことがあるのに、年齢にとらわれて諦めたことが(大小含めて)ずいぶんとあるような気がしてきた。
年齢にあった服や髪型や趣味を選ばないと、、なんて年齢ばかりに気を取られていると、あっという間に年を取って人生おわっちまうんじゃないか、そんなの嫌だ。
この考えにもっと早く気づけばよかったなあ。先日、韓国風メイクはもうイタイかな、とためらっていた友人にもこの話をしようと思う。
山形の海。日本海が好き
今日の午前中は曇り空でさほど暑くなかったので、持て余した体力を使うべく、買い物ついでに往復14㎞のサイクリングをした。ひっさしぶりの自転車!!
車の運転も好きだけど、やっぱり自転車もいいなあ。帰ってきた後汗を拭くとさっぱりしたいい気持ち。そのままお昼ごはん(ひよこ豆とトマトを煮て庭のオレガノを摘んでトッピングにしたの)を食べた。
全身に心地よい疲労感があって、ソファーに寝転んでそのままお昼寝した。運動はいいなあ。それから今夜の夕飯はから揚げにして、早めの夕食を取りながらnetflixを観る予定。いい休日である。